ES細胞移植体験談

ES細胞移植体験談

「ES幹細胞移植」治療体験記
     ~2011年4月6日~4月8日 3泊4日~

※ES細胞を移植された方の体験記になります。

■1日目■

午前9時 中部国際空港から上海浦東国際空港へ向け出発。ちょうど当会館の大会(愛知県空手道選手権大会)で役員を務めている帰国中の次男が上海に戻るということで同行した。
現地時間10時30分上海へ到着。 市中までリニアとタクシーを乗り継ぎ上海在住の三男と待
ち合わせした場所まで行くことにした。まだ昼の12時、夕方6時が吉林省行きのフライト時間な
のでそれまで上海市中で3人で、食事をとることにした。 息子たちは「これは脂っこいから食べちゃダメ」「これはカロリー高いからダメ」で結局、ご飯とみそ汁で我慢した。
昼食を済ませて二男と別れ、私と三男で再び空港へ向かった。今度は国内線で吉林の長春空港まで2時間30分のフライト。 やはり国内線、中国人の乗客が90%以上、三男がいてくれて本当に心強い。やれやれ。長春空港に到着すると出口に、病院スタッフが迎えに来てくれていた。
上海の出先機関で何度か打ち合わせをした際、同席した王さんが同行してくれていた。王さんも日本語の通訳ができるので自分としては本当に助かる思いだった。 黒塗りのベンツでVIP待遇の送迎!!
これは、日本からの患者さんに対して同等の待遇ということ。
きれいに整備された道路を40分ほど走り、13階建ての近代的な建物が見えてきた。
22時ごろになっていた。車から降り病院の入口へと案内される。 玄関フロアーはとても広く7、8階ほどの高さの吹き抜けの造りになっており、フロアー奥の外人専用エレベーターで11階まで上がった。
その階にはたくさんの女性患者がいた。身なりはまさに金持ちと言える様であった。そこで医師に「女性患者が多いんですね」と訪ね、医師は答えた「ES細胞は美容にものすごい効果をもたらします。というのも、細胞を老化させずに維持させる事ができる為、いつまでも若い細胞のままでいられるんです。尚且つ、健康にもつながり一石二鳥なんです」。今回は肝臓の細胞移植を受けにいったのですが、美容関係の患者さんたちも多いのかと思った。 私は病室へと案内され勿論個室だが結構な広さにびっくりした。
三男と私の2人だけなのに・・・ 部屋には、バス・トイレ・テレビ・客用ソファー・エアコン・床暖房(冬は極寒)ミネラルウォーター・籠盛果物・ベッド2床 完備夜食は中華料理を提供され、日本人でも抵抗なく食べれる味でおいしそう。三男は、大変おいしかったらしく、物凄い勢いで食べていましたが。

■2日目■
午前8時 検査開始。検尿から始まり血液検査、エコー等、日本の病院とまったく同じ検査を行い午後から、結果を担当医から聞くことになった。 検査後結果が出るまで、ES細胞の研修室・貯蔵室等を完全武装で一通り案内され、ヒト幹細胞の現物を見せていただいた。 昼食後、2人で病院長室に行き話を聞くことになった。 日本からの病状の情報や資料は一切提出していなく、100%ゼロの状態から検査をした結果報告である。 3,4年で肝硬変になるよ。のフレーズまで。
2人ともますます、ブルーな気持ちで一杯になる。
病室に戻り1時間余りすぎると担当医と王さん、そして看護師2名が私のES細胞一式を持って入室してきた。てきぱきと準備を始め、私はベッドに横になりまず、全身の血液をきれいにする為の点滴が始まった。うとうとしていると次はいよいよES細胞移植のスタート。
神経細胞と肝臓細胞の2種類の幹細胞移植を受けた。 1時間30分の点滴で体の中に新しい細胞を入れていく、何だか不思議な感じだ。今まで、日本では薬による治療しかしてこなかったが、健康な細胞を丸ごと体の中に入れ病変細胞を根本から無くしていく治療、しかも副作用も拒絶反応も無い、こんな治療が日本でも行えれば、たくさんの人が体に負担を感じず改善の道を歩めるだろうなと感じた。
倫理上の問題からまだまだ日本では無理かもしれない。 自分もこの時点ではまだ結果が出ていないので、こんなことで本当に良くなるのか、本当に副作用がないのか、体は大丈夫なのか、半信半疑であった。
でも、日本では病院に行くと毎回どっさり薬が出てスーパーへ買い物に行ったがごとく袋に一杯になった。でもそれらは症状を抑えるだけで治りはしない、私は何とか今より治したい。その気持ちで一杯だった。
最後の望みとしてES細胞に懸けることにした。1時間30分の点滴の間は医者や看護師がちゃんと見守ってくれている。患者としてはとても安心できる。安心しすぎて爆睡してしまった。
点滴も終わり、医者は「早くて一カ月ほどで結果が出ます。是非、日本で検査を受けてみてくさい。」と言われちょうど5月9日に病院に行く日だったなと思い楽しみでもありました。看護師たちが一式を片付け始め、礼儀正しく挨拶をして病室を出て行った。私は、何か変化があるかなと思い早速、鏡を見てみた。 さすがに、まだ何の変化も無かったが、鏡に映った自分の姿は、新しい人生のスタートのような気分がしてすがすがしかった。 ES細胞を打たなければ確実に肝硬変になっていただろう。 もちろん肝硬変になってからES細胞を打つ人もたくさんいる。
しかしできるだけ何でも症状が軽いほうがいいということです。末期がんの人もいますが、何回と打たなくてはいけません。それに比例してお金もかかるし大変です。庶民にはきついです。私はまだ1回しか無理です。経済力がある人は健康維持や美容のために、毎年のように打ちます。うらやましいことに!! その夜、王さんと三男と3人で気分転換もしながらレストランに行き食事をした。とても美味しい中華料理で大満足!!

■3日目■
10時 病院を後にし、王さんの案内の元、長春市内を観光し昼食を御馳走になり、その後40分かけ長春空港へ向かった。
空港で王さんに別れを告げ上海へと戻った。
二日後、日本へ帰国.

■それから一ケ月後の5月9日■
いつもの総合病院で検査を受け結果が出るまで2時間ほど院内で待っていた。
結果がもし悪かったら心が折れるほどショックが大きい。長~い待ち時間であった。
結果が出て、まずいつものように栄養士に呼ばれ栄養指導。しかしこの日に限っては違っていた。
栄養士が「今日は何も指導する事はありません。よく努力しましたね。」
と初めてほめられた。
次に医者に呼ばれ「どうしてこんなに急によくなったのかな。何かしましたか。」
と聞いてきたので、私はあえて「食事を制限し、毎日散歩しました。でも2カ月分のうち15日分薬を余らせてしまいました。」と答えた。 医者は薬もそれだけ余っていて、この結果は信じられない。といった様子
でさらに言葉を続けた。「肝臓は年齢相当な健康数値
まで回復し、糖尿はほとんど正常な数値まで回復して
います。」と言われ本当にうれしかった。 
医者や栄養士にはES細胞の件は言わずにおいた。

■ES細胞から貰った希望■
私の人生の中でこのES細胞移植は生きる希望に繋がったということは過言ではない。
今からでもコツコツ貯金をして10年後にまた打ちたいと思っている。
それまで、自分でも摂生し健康を維持する努力を続けようと思っている。
毎日30分以上の散歩を目標に頑張るぞ。
もし、ES細胞(万能細胞)に興味やここんとこどうよって言う人がいた
ら、私がお答えできることは、何でも御相談に応じます。
現地の病院の様子や、どうしたらその病院で移植できるのかとか・・・。

ES細胞は医者曰く「万能細胞の効果が顕著に見受けられるのが、糖尿病、
パーキンソ病、心臓病などです」。とのことだった。
10人いれば10人とも症状が違い、自分が感じる病状の重さは人にはわからない。
他人から見れば、「何だよそのぐらい。」と思っても患者本人は本当に深刻な問題なのです。

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